2009年6月24日水曜日

セブンイレブンに排除命令

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  販売期限の迫る食品を自由に値下げできず、加盟店の経済的負担と大量の食品廃棄を生んできたセブン―イレブン・ジャパン(東京都千代田区)の「見切り販売」規制。公正取引委員会が排除措置命令を出した22日、本部と交渉を続けてきた加盟店主3人が東京・霞が関で記者会見した。店主らの言葉と表情には安堵(あんど)の思いとともに「これが業界改善へのスタート」との決意がにじんだ。
 会見に臨んだ増田敏郎さん(60)は東京都八王子市で店舗を経営する。売れ残り商品を初めて値引きしたのは10年前。この時は「本部からさまざまな妨害に遭い」中止した。公取委の調査が報じられた今年5月、再び値引きに踏み切った。
 会見では、本部に値引き制限による不当な利益の返還を求める声明文を読み上げた。「過酷な労働条件や閉鎖的なシステムなど、コンビニ経営で改善すべき点はたくさんある。今回の命令はそのスタートに過ぎない」。店主らは労働組合結成の準備を進めており、連日のように店主からの相談があるという。
 この日は各地の店舗でも公取委の命令を歓迎する声が相次いだ。
 「値下げできずに失ってきた利益を商売人として取り戻したい」。福島県塙町の店主鈴木一秀さん(59)は本部を相手に民事訴訟を起こす予定だ。
 店を開いたのは85年。父に介護が必要になり、東京の電機メーカーを退職して実家に戻った。「当時コンビニは成長企業。本部が経営指導してくれて、素人でもできるイメージがあった」。だが本部は仕入れ単価なども明らかにしない。本部にすすめられ店を広げた後、近くに別のセブン店舗が開店。売り上げは半減し、親が残した土地も失った。
 弁当におにぎり、牛乳、パン……。「1週間でみかん箱20~30箱は捨て、胸が痛んだ」。昨年5月から、消費期限が残り4時間になった食品を最大5割値引きして売り始めたところ、毎月原価ベースで約40万円分出ていた廃棄が激減し、1万円程度になったという。
 「値引きすると定価で売れなくなる」という人もいるが、消費期限ぎりぎりの商品を嫌う客も多い。「お客さんは値引き商品か、定価商品かを選べ、オーナーも自己判断で値引きできる。やっと当たり前の商売になれた。今後は全国のオーナーに勇気を持って値引き販売をしてほしい」
 また、関東地方の40代店長は「深夜客が見込めず利益を上げられない店も多い。ビジネスモデル自体も見直すことになるのではないか」と話した。
 ◇「すぐ食べれば安全、助かる」 「見切り品」客に好評--川崎の店舗
 川崎市内の店舗では22日夜も「見切り品」が人気を呼んだ。この店では5月から見切り品の販売を始め、利益が4月の約1・5倍に上昇。廃棄によって毎月約30万~40万円出ていた損失が10万円程度に抑えられたためだ。販売期限まで3時間となった弁当などを見切り品と分かるように表示し通常商品とは別の陳列場所で3~5割引きで販売。オーナーの男性(42)は「見切り品目当てで来るお客さんもいる。売り上げは好調です」と話す。
 パンを購入した近くの主婦(53)は「安いのでよく利用する。すぐ食べれば安全なので、助かっている」と話した。一方で女性会社員(35)は「たくさんの品ぞろえの中から気に入った物を選びたいので、安くなったからといって手は伸びない」といっていたという。
 セブンイレブンは記者会見で一部のオーナーだけが騒いでいるというようなことを言っていたが、急遽廃棄品の原価の15%を本部が負担すると23日に発表した。

2009年6月21日日曜日

自衛隊のソマリア沖海賊対処法に反対!

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 海賊対処法案が、衆議院の絶対多数を背景にした再可決で成立した。これで、自衛隊は地球の裏側でも同じようなことがあれば、恒常的に部隊派兵ができることになった。明らかに日本国憲法第9条違反である。

 専守防衛という解釈改憲さえも反故にして、自公政権は海外派兵を財界が望んでいたシーレーン確保の出撃をおおっぴらにやろうということだ。

 期限の定めがないということは、ソマリアの内戦が収まらない限り、継続的に海賊行為が行われるということになって、果てしない戦費支出となる。不況を脱出するための最大の支出が、戦費というのはかつての大恐慌時、第2次世界大戦に向かったあの時と同じ構図が見えてきた。絶対に許せない。 

2009年6月20日土曜日

安達峰一郎

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安達峰一郎さんは、世界から紛争をなくそうと国際連盟に働きかけ、国際司法裁判所を開くことに尽力し、第4代所長になった人だ。

 訴えられたら被告国家は、応訴義務を負うことを国連加盟国に訴えた。そのことに反対したのは、あろうことか日本だった。おりしも、日華事変、満州事変を起こし、傀儡国家満州をでっち上げ、日本が国際社会からの孤立を選んだ年だった。

 日本が間違った道を進もうとしたときに、修正しようと最後まで日本という国のために働いた人だった。

2009年6月16日火曜日

フェーズ5から6へ 新型インフルエンザ警戒

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 WHOが、新型インフルエンザ警戒をフェーズ5から6へ引き上げた。南半球が冬に向かっていることで、オーストラリアなどで急速に感染者が発生していることを受けての決定だった。
 東大医科研が、新型インフルエンザの変異の過程を電子顕微鏡で捉えた。米国から渡された新型インフルエンザの株は、丸いものだったが、映し出されたものは細長い姿をしていた。すでに変異が始まっていて、より人間への感染力を強めている虞がある。
 あらゆる手立てを日本政府は講じるべきだと思う。梅雨のこの時期に衰えを見せていない新型の秋口の感染拡大が予想されるからだ。
 私達の予防策としては、感染前のマスクは意味がないのでやめた方がいい。手洗いの実行が一番だ、帰宅時、食事前、外食時などは必ず手を洗うことだ。

2009年6月11日木曜日

新型インフルエンザフェーズ6に引き上げか

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 WHOは、世界レベルでフェーズ5から6に格上げして、パンデミック宣言を検討している。
 都内の私立校が、休校措置を取った。静かにでも確実に新型インフルエンザが広がっている。
 帰宅したら手を洗おう、罹る前のマスクは意味がないからやめよう、食事の前には手を洗おう!
 インフルエンザ罹らないように帰宅したら手を洗おう!

菅家さんにきちんと謝れ

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 10日最高検次長検事が菅家さんに正式に謝罪したというニュースが流れ、これで再審にすぐなると思ってしまった。 
  菅家さんによると、謝罪について検察からは何の連絡もないという。数カ月の再審手続きで「無罪」へと転換しようとする検察側の姿勢に「とんでもない話だ」と怒りをあらわにした。
 92年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」も足利事件と同じように旧来のDNA型鑑定で有罪とされた。弁護団は、死刑が執行された飯塚事件の久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚の弁護団との連携を深める方針だ。久間元死刑囚の執行を刑務所で知ったという菅家さんは「飯塚事件と足利事件はそっくりだ。人の命は地球より重い。無実かもしれない人間を直ちに執行することは許されない」と語気を強めた。
  弁護団は10日夜、菅家さんも同席して記者会見を行った。この冤罪事件を起こしてしまった全証拠の開示を高裁の再審請求特別抗告で求めていくという。この事件の背景を明らかにするため、科捜研の鑑定技師も証人として要請しているということだった。早期の再審決定ではすまされない、時の重みがそこにはあった。

2009年6月8日月曜日


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海上自衛隊に配備された航空母艦「ひゅうが」。
政府、防衛省は空母型護衛艦だと嘯いている。冗談を言うなよ、紛れもない航空母艦だ!大うそつきが、こんなものは、税金の無駄遣いだ!

自由社版歴史教科書、扶桑社版歴史教科書は、採択させてはいけない

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自由社版中学歴史教科書は、採択させてはならない。扶桑社版とほぼ同じ内容の教科書で自由社から発行されたものが、検定を合格した。扶桑社版と同じ思想、戦争を賛美し、普通の国=戦争のできる国にしたいという思想が、貫かれているとんでもない本だ。
 つくる会が分裂して残った連中が自由社から発行した本なのだが、出版社としての体をなしていない。検定時に検定意見がつけられたが、そのほとんどが誤字脱字という通常の出版社ならありえない間違いなのだ。そして扶桑社版ではそのまま通ったところが、自由社版では検定意見がつけられて修正させられているところもある。これって扶桑社版のほうも直させるべきではないんですか、文科省!
 歴史の歪曲は、その時系列さえ間違えているところがあるという、本当にこれで検定合格本なのかという代物だ。
 こんな本を採択させてはならない。

2009年6月7日日曜日

ソマリア沖自衛隊派兵は日本国憲法違反です

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  ソマリア沖で海上警備行動に、海上自衛隊の護衛艦が出ている。それを補完するために航空自衛隊のP3C対潜哨戒機がジプチ共和国の空港に常駐し、さらに護衛のための陸上自衛隊まで派兵するという。
  ジプチとは『地位協定』を結んだというのだから、これはもう戦闘モードだ。明らかに日本国健保に違反した派兵行動だということができる。

  自衛隊よ、お前らがやっていることは国の基本法たる日本国憲法に違反しているぞ!

2009年6月5日金曜日

警察、検察は、謝罪すべきだ

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 再審請求弁護団と、検察双方のDNA鑑定が一致した。鑑定結果は、受刑者が犯人ではないと言っていた。警察、検察は謝罪すべきだ!  
 1990年5月、19年前の事件だった。1991年12月に逮捕。あの時、自白調書では、幼女殺害を認めていたが、公判廷では、自白は強要されたものだと自白調書を否定した。 少女の衣服についていた体液のDNA鑑定が決め手となって、有罪となった。  再審裁判を前に、「警察と検察に謝って欲しい」菅家さんは、支援者への手紙で訴えていた。  無実をずっと訴えていた菅谷さんが今日、異例のスピードで釈放された。確定判決から9年目だった。裁判所が再審決定を出す前の東京高検の決定で釈放されたことは異例のことだ。 検察も鑑定結果を認めざるを得なかった。DNA再鑑定結果が出た今、絶対に謝罪すべきだ!
  菅家さんの父親は逮捕後、ショックで亡くなって、2年前には母親も亡くなっていた。 検察も、警察も、両親の墓に謝罪に行ってほしいと本人は記者会見で語っていた。 DNAの再鑑定をなかなか認めなかったこと、どうして私を犯人と認めたのか分からなかった。一審の宇都宮地裁では、傍聴席に刑事が来ていると思ってびくびくしていたため、無罪を主張できなかったそうだ。 自由の身になった今、他の冤罪で苦しんでいる人たちを支援していきたいと語っていた。 東京高検が東京高裁に無罪になる可能性が高いという意見書を出して、再審の方向に動き出した。今日の保釈は、再審決定前の異例中の異例の出来事だった。 冤罪事件の解決は喜ばしいことなのだが、検察、裁判所、この事件の時間の重みをしっかり受け止めてほしい。事件の時効は、成立してしまっている。菅家さんは、当時の刑事、検察官を絶対に許さないと繰り返していた。

   経  緯
  栃木県・足利市で平成2年5月12日の夕方、パチンコ店勤務・Aさんの長女マミちゃん(当時4歳)が突然行方不明になり、翌13日足利市内の渡良瀬川の河川敷で全裸にされたマミちゃんの絞殺遺体を発見した。 前日の12日午後5時50分頃、マミちゃんは父親のAさんと一緒にパチンコ「ロッキー」に入った。パチンコ店内の休憩室で遊んでいたマミちゃんが、外で遊ぶからとAさんに言い残し店外に出た(6時10分頃)。Aさんが娘を見たのは、これが最後になった。 その後、景品交換所の女性や客が一人でパチンコ店の駐車場で遊んでいるマミちゃんを目撃している。最後に目撃されたのが、パチンコ店の隣のK宅で、マミちゃんは生まれたばかりの柴犬の子犬を見ようとK宅の門の中へ入ってきた。K宅の主人が「犬に噛まれるから危ないよ」と注意すると、マミちゃんは残念そうに出て行ったという。これが、6時40分頃で、それ以降マミちゃんの足取りはぷっつりと途絶えた。 7時頃、マミちゃんが居なくなったことに気付いたAさんは、店内を捜すがマミちゃんは見当たらない。不安になったAさんは、駐車場や付近を捜しだす。更に約600メートル離れた渡良瀬川の土手まで捜したが行方は判らなかった。同日の夜、Aさん両親は足利署に届けを出した。 届け出を受理した警察は迅速な捜査を開始する。というのは、足利市では昭和54年にマヤちゃん(当時5歳)、59年にはユミちゃん(当時5歳)が行方不明になり、マヤちゃんは渡良瀬川の河川敷で、ユミちゃんは市内の畑で遺体が発見された。この事件は今だに未解決の状態だった。 このため、マミちゃんの行方不明届を受理した警察は大規模な捜索を開始したのだった。 翌日の13日、渡良瀬川の河川敷を徹底的に捜索した結果、河川敷の運動場先の葦が茂った中洲で、絞殺されたマミちゃんの遺体が発見された。遺体は不思議なことに、顔に砂が付着していたが顔以外には付着していなかった。このため、殺害現場は他にあると推定された(運動場に公園があり、この砂場で窒息死させ中洲に運ばれた可能性がある)。-容疑者検挙- 警察は、パチンコ店に出入りしている客や地域の不審者、前科者など徹底的に捜査を始める。警察にも多数の情報が入り、一つ一つを潰していったが犯人に結びつく手掛かりは無かった。 半年後の11月2日、市内の住人から「週末だけ借家に住む不審な中年男性」が居るとの情報があった。駐在所の警察官が、その借家へ訪問したところ、出てきたのが《幼稚園バス運転手・菅家利和(当時44歳)》さんだった。 菅家宅に上がりこんだ警察官は、多数のアダルトビデオやグッズを見て怪しいと直感する。が、多少不自然に感じる週末だけの借家利用は、同じ市内にある自宅では、両親と妹の4人暮らしで3間はあまりにも狭く、借家を借りたのも極自然であった。 しかし、警察は「菅家は、マミちゃんが行方不明になったパチンコ店に頻繁に出入りしていた」という情報も得て、益々嫌疑をかけた。警察は、12月3日から逮捕される平成3年12月2日までの1年間、尾行を続ける。この間、菅家さんが出したゴミ袋から精液が着いたティッシュペーパを押収し、マミちゃんの衣服についていた精液とのDNA鑑定を行った。 このDNA鑑定で、1.2/1000の確立で菅家さんの精液であることが判定され、平成3年12月1日菅家さんを任意同行。菅家さんは犯行を否認したが、午後10時過ぎ犯行を自供。翌2日午前1時15分逮捕された。

 -疑問点- 菅家さんは、取調べにおいて犯行を自供したが、一審公判中に自供を全面否認し、無実を訴えた。 菅家さんの自供には、矛盾点が多かった。犯行に及んだ経緯は、自分では殆ど供述できなかった。検察官が「こうなのか?」の問いに「多分そうです」という会話が続いたという。弁護士との面会でも「つい、しゃべっちゃったんです」というような軽い会話を交わしていた。
 パチンコ店でマミちゃんに声をかけて、自転車で渡良瀬川に連れだして犯行したという道順も、遺体発見直後の警察犬の探索では、まったく異なる道順をたどった(供述した道順とは反対方向)。警察は、警察犬の探索報告は一切公判で明らかにしていなかった。 絞殺した方法も矛盾点が多く、マミちゃんの顔に付いていた砂も明確にできていなかった。 DNA鑑定も、当時の測定方法は完全に確立されておらず、証拠能力として疑問を呈する専門家も多かった。
  警察は、マヤちゃん、ユミちゃんの二人の殺害に関しては立証できず、マミちゃん殺害・遺体遺棄に関して菅家さんを起訴した。平成5年7月7日一審宇都宮地裁で無期懲役の判決。平成8年5月9日二審で控訴棄却。平成12年8月16日最高裁で菅家さんの無期懲役が確定し、服役していた。 
 昨年12月、東京高裁が被告側と検察双方から出されていた再鑑定申請を認めたことから、新たな展開を見せ、今年、双方別々の方法で行った鑑定結果が、菅家さんのDNAと違うと判定していたことで、今日を迎えた。 おそらく東京高裁で再審決定後、原審の宇都宮地裁で無罪判決が出され、検察が控訴しなければ無罪が確定する。

2009年6月3日水曜日

御殿場女子高生暴行事件は冤罪事件だ!

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  2002年9月16日に女子高生は集団暴行にあったと中学時代の同級生の少年達を告発した。少年達はまずA君が逮捕され、その供述から9人の少年達が逮捕された。。少女の告発と、少年達の取り調べ自白調書が決め手となって起訴された。
  一審 有罪  二審 有罪  最高裁 被告達の上告を棄却  少年達の処分が確定した。
  矛盾点   一審の訴因変更  公判廷において、少女の嘘が明らかになった。母親に電話した後、援助交際のために男に電話したという発信記録が、携帯電話に残っていた。公園に押し倒されて、
暴行を受けたという時間に。証人として、少女と会ったという男性が証言した。少女は嘘を認めたが、あろうことか犯行日はもっと前の9月9日だと証言したのだ。
  1.訴因の変更  静岡地裁沼津支部は、原告の少女の証言を採用した。検察も訴因の変更を要求し、これも認められた。少年達の自白調書の日付は、16日のままである。10人の少年達が、原告と同じ日付を犯行日としていたにも拘わらずにである。強姦ではなく、強姦未遂事件となった。
  犯行時間も少女は変更した。っはおやに電話したと言っていたが、していないに変わった。犯行時間も少年達の自白調書と食い違ったまま、裁判所は、少年達のアリバイはでっち上げたものとし、決定的な時間、日付の変更をあっさりと認めてしまったのだ。
 9日のアリバイを証明するのは、難しかった。親達は、当日の天気に着目した。当日は雨。警察の出した証拠が間違っていたという証明が、後でなされるのだが。

 2.控訴審では、9月9日の天候が、最大の争点となった。少女は、服は濡れなかったと証言したのだ。当日の天候は台風が東海地方に近付いていたこともあって、終日雨。しかし警察が出した証拠は、晴れだった。9日のアリバイについては、日にちも経って証明は不可能だったが、当日の天候に少年達の親、弁護団は着目した。
  テレビ朝日ザ・スクープは、これに食い下がった。長野智子キャスターが事件当日の天候を聞いて回った。気象台、当日の消防署から天候の情報を得たとした警察側証拠から消防署もまわった。事件当日、近くで事故にあったという人の家族からも当日が雨だったという証言が取れた。
  しかし、裁判所は少女の証言、警察からの晴れという証拠を採用し、再び有罪判決を下した。局地的に晴れていたというのである。
 しかし、気象台に残る天気画像は正直だ。ここが科学の技術力のすごさだ。犯行場所上空の雲の変化が画像に映され、刻一刻と雲が変化し、犯行現場が晴れていた、少なくとも押し倒されて服が濡れないという情況が、ありえないことを証明していた。少女の2度の嘘の証言を採用した裁判所、自白調書と検察の訴因変更の矛盾、アリバイ証拠を悉く採用しなかった裁判所、当日の天気、警察の長時間に及ぶ取調べ、自白の強要。これは明らかに、冤罪事件である。

   一審(静岡地裁沼津支部)
2005年10月27日の一審判決では懲役2年の実刑判決が下された。高橋祥子裁判長(定年退官のため姉川博之裁判長が代読)は、「女子高校生は日時について嘘をついていたが、その理由は了解できるものであり、変更後の供述内容は十分信用できる」として女子高校生の証言を全面的に支持。天候の件は、裁判で重要な争点になることはなかった。被告人側は即日控訴し、保釈されている。

二審(東京高裁)
2007年8月22日控訴審判決では、一審判決を破棄し、改めて懲役1年6月に減刑された実刑判決がなされた。中川武隆裁判長は、被害者の供述について、申告には問題があったが、日付を除いてほぼ一貫しているとして信用性を認め、被告人側の主張は退けられた。天候の件は事件現場周辺の2カ所の雨量計が0ミリであった(後に2ヶ所とも警察の記録間違いで実際は雨が降っていたことが判明)ので、事件現場で雨が降っていたとは言い切れないとした。被告人側は即日上告している。

最高裁
2009年4月14日、最高裁より上告棄却される。
  
  テレビ朝日ザ・スクープのキャスターとして事件を追っていた長野智子さんは、自分がメインキャスターになった報道検証番組、テレビ朝日ドキュメンタリ宣言において事件のおかしさを訴えていた。
  少女の証言は自分の告発の正当性を嘘で固めたものであり、警察は嘘の証拠をでっち上げ、少年達の自白を強要した。訴因変更において、静岡地裁沼津支部の高橋祥子裁判長は、重大な誤りを犯している。それを踏襲した高裁、最高裁の判決も間違っている。これは明らかに冤罪事件である。