2008年2月28日木曜日

使ってはいけないプリンスホテル

プリンスホテルボイコット!泊まるのやめよう!利用するのやめよう!

2008年2月27日水曜日

元校長に対する懲戒処分は違法

 元養護学校の校長先生が東京と教育委員会を相手に起こしていた裁判で、懲戒処分は裁量権を逸脱し、違法だという判決が25日ありました。

 右翼都議が世間一般の常識から外れていると宣伝していた性教育については、その是非についての判断はなされませんでした。それにしても東京都と、右翼都議たち、産経新聞許せません。

2008年2月22日金曜日

全国学力テストに参加しない

 今年も犬山市は全国学力テストに参加しない事を決定した。

 昨年から始まった全国学力テスト、犬山の子どもたちは責任を持って犬山が育てる、犬山市は全国で唯一、このテストに参加しなかった。

 子どもの教育権を保障するため、日本国憲法は第26条第2項に国民の義務として、その保護する子女に対して、「教育」を受けさせる義務を定めている。教育基本法第10条の規定で不当な支配、介入は許されないが、現行法では、法律で定めるとして、国家の介入を認めるような法案が出される危険を孕んでいる。

 旭川学テ裁判の判決が物語るように、教育への国の不当な介入に当たるのかどうかが、再び問われることになった。しかし、その参加が地方教育委員会の決定によるものとされ、あくまでも自由参加(京都では親の意向で生徒数人が参加していない)であり、強制参加でないということで、昨年の全国学力テストは実施された。絶対に参加しなければならないということではないから、参加しないと決めた犬山市の方針が、責められるべきではないと考える。

 昨年の試験結果で成績の悪かった県には激震が走り、教育環境、学習内容の見直しがされ、全県上げて試験点数の底上げが図れるように各都道府県の教育委員会が、指導的立場で躍起となったことは記憶に新しい。

 それにしても、子どもの学力とは、義務教育とは、古くて新しい問題である。改めて考えさせられた。
 未来を担う子供たちに何をどう教え、伝え、その中から育った芽をどうやって育てていくのかが、改めて問われている。

2008年2月21日木曜日

西山さん名誉毀損裁判控訴審判決

 沖縄返還裏協定があったとスクープ報道を物にしていながら、国策捜査で、公務員の機密漏えい教唆の罪で起訴され刑が確定してしまっているが、今もって裏協定を否認する政府を相手取って起こされた、国賠訴訟の控訴審判決が20日出された。
 日本政府は、今も裏協定の存在を公式に認めていない。

 控訴審の国賠訴訟の提起は、時効の20年を過ぎていることを理由に一審と同じく却下した。
日本政府は、アメリカの公文書、当時のアメリカ局長の証言からも明らかなように、日米間で返還費用をすべて日本川で持つという裏協定があったことを認めて、西山さんに謝罪と、名誉毀損の賠償金を払うべきだ!

いい加減にしなさい!海上自衛隊!

 何を隠そうとしているのか。海自は。12分と2分前の船が同じだったと認識したので発表を変えたという。
 なぜ、船の銀座といわれる東京湾に出入りする船が航行する海域で、自動操縦なんかにしていたのか。最新鋭のレーダーは、ミサイルや戦闘機を捕捉するもの。
 海上レーダーで捉えられていたはずの漁船が何故よけられなかったのか、操艦と見張りの双方にミスがあったと考えられる。
 何故衝突事故が起きたのか、海自は何を隠そうとしているのか、海保の徹底的な究明がなされることを望む。

日米安保破棄!ミサイル防衛破棄

日米安全保障条約の破棄を米国に通告し、ミサイル防衛、民間企業の兵器ライセンス生産を直ちにやめさせるべきだ。

日米安保破棄!防衛予算を生活防衛費、生活保護費、民活、労働者支援金に回せ!

2008年2月20日水曜日

イージス艦なんか要らない!

国民の命を奪うイージス艦なんか要らない!

ミサイル防衛も必要ない。

命を奪うイージス艦なんか要らない!

2008年2月19日火曜日

ラッセル・アインシュタイン宣言を再録

人類はいまだ核廃絶に至らないばかりか、戦争に明け暮れています。この宣言は東西冷戦下で出されたものですが、今でも生きています。こんなものがいらなく時代に早くしたいものです。

核廃ラッセル・アインシュタイン宣言
1955年7月9日 ロンドン 
 私たちは人類が直面する悲劇的な情勢のなかで、科学者たちが会議に集まって、大量破壊兵器の発達の結果として生じてきた危険を評価し、ここにそえられた草案の精神において決議を討論すべきであると感じている。
 私たちがいまこの機会に発言しているのは、あれこれの国民や大陸や信条の一員としてではなく、その存続が疑問視されている人類、人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そしてすべての小さな紛争の上にかぶさっているのは、共産主義と反共産主義との巨大なたたかいである。
 政治的な意識を持つ者はほとんどみな、これらの問題のいくつかに強い感情をいだいている。しかし、もしできるならば、皆さんにそのような感情をしばらくわきにおいて、ただ、すばらしい歴史をもち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員として反省してもらいたい。
 私たちは、一つの集団に対し、他の集団に対するより強くうったえるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もしこの危機が理解されれば、皆さんがいっしょになってそれを避ける望みがある。
 私たちはあらたな仕方で考えるようにならなくてはならない。私たちはどちらの集団をより好むにせよ、その集団に軍事上の勝利をあたえるためにどんな処置がとられうるかを考えてはならない。なぜなら、もはやそのような処置はないのだから。私たちが考えなくてはならないのは、どんな処置をとればすべての側に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。
 一般大衆は、そしてまた権威ある地位にある多くに人々でさえ、まだ核爆弾による戦争によっておこる事態を自覚していない。一般大衆はいまでも都市が抹殺される位に考えている。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が一発で広島を抹殺できたのにたいして水素爆弾なら一発でロンドンやニューヨークやモスクワのような最大都市を抹殺できるだろうということは理解されている。
 疑いもなく、水爆戦争では大都市が抹殺されてしまうだろう。しかしこれは、私たちの直面しなければならない小さな悲惨事の一つである。たといロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても二、三世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾は想像されていたよりもはるかに広い地域にわたって徐々に破壊力をひろげることができることを知っている。
 信頼できるある筋から、今では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾をつくることができるということがのべられている。
 もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能を持った粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲を汚染したのは、この灰であった。
 そのような致死的な放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのか、だれも知らない。しかし最も権威ある人々は一致して水素爆弾による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水素爆弾が使用されるならば、全面的な死滅が起こる心配がある。--瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊していく。
 多くの警告が著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上から発せられている。しかし、最悪の結果がかならずくるとは、彼らのうちのだれもいおうとしていない。実際彼らがいっているのは、このような結果がおこる可能性があるということ、だれもそういう結果が実際おこらぬとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が少しでも彼らの政治上の立場や偏見に左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。
 さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、きびしく、おそろしく、そして避けることのできない問題がある--私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか? 人々はこの二者択一という問題を面とむかってとり上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。
 戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。人々は、危険は自分自身や子どもや孫たちに対して存在し、単にぼんやり感知される人類に対してではないということを、はっきりと心に描くことがほとんどできない。人々は、個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。
 この希望は幻想である。たとい水素爆弾を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争がおこるやいなや双方とも水素爆弾の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。
 軍備の全面的削減の一部として核兵器を放棄する協定は、最終的な解決をあたえはしないけれども、一定の重要な目的には役だつであろう。
 第一に、およそ東西間の協定は、これが緊張の緩和をめざすかぎり、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じたれるとすれば、現在双方を神経的な不安状態におとしいれている真珠湾式の奇襲への恐怖をへらすことになるであろう。それゆえ私たちは、たんに第一歩としてではあるが、そのような協定を歓迎すべきである。
 私たちの大部分は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちはつぎのことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が誰にでも--共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと--可能な満足をあたえうるようななんらかの仕方で解決されなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望む。
 私たちのまえには、もし私たちがそれをえせぶならば、幸福と知識と知恵の絶えない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死をえらぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類にむかってうったえる--あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。
決議
 私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。
 「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」
マックス・ボルン教授 (ノーベル物理学賞)P・W・ブリッジマン教授 (ノーベル物理学賞)アルバート・アインシュタイン教授 (ノーベル物理学賞)L・インフェルト教授 F・J・ジョリオ・キュリー教授 (ノーベル化学賞)H・J・ムラー教授 (ノーベル生理学・医学賞)ライナス・ボーリング教授 (ノーベル物理学賞)C・F・パウェル教授 (ノーベル物理学賞)J・ロートブラット教授 バートランド・ラッセル卿 (ノーベル文学賞)湯川秀樹教授 (ノーベル物理学賞)
The Russell-Einstein Manifesto
Issued in London, 9 July 1955 
 In the tragic situation which confronts humanity, we feel that scientists should assemble in conference to appraise the perils that have arisen as a result of the development of weapons of mass destruction, and to discuss a resolution in the spirit of the appended draft.
 We are speaking on this occasion, not as members of this or that nation, continent, or creed, but as human beings, members of the species Man, whose continued existence is in doubt. The world is full of conflicts; and, overshadowing all minor conflicts, the titanic struggle between Communism and anti-Communism.
 Almost everybody who is politically conscious has strong feelings about one or more of these issues; but we want you, if you can, to set aside such feelings and consider yourselves only as members of a biological species which has had a remarkable history, and whose disappearance none of us can desire.
 We shall try to say no single word which should appeal to one group rather than to another. All, equally, are in peril, and, if the peril is understood, there is hope that they may collectively avert it.
 We have to learn to think in a new way. We have to learn to ask ourselves, not what steps can be taken to give military victory to whatever group we prefer, for there no longer are such steps; the question we have to ask ourselves is: what steps can be taken to prevent a military contest of which the issue must be disastrous to all parties?
 The general public, and even many men in positions of authority, have not realized what would be involved in a war with nuclear bombs. The general public still thinks in terms of the obliteration of cities. It is understood that the new bombs are more powerful than the old, and that, while one A-bomb could obliterate Hiroshima, one H-bomb could obliterate the largest cities, such as London, New York, and Moscow.
 No doubt in an H-bomb war great cities would be obliterated. But this is one of the minor disasters that would have to be faced. If everybody in London, New York, and Moscow were exterminated, the world might, in the course of a few centuries, recover from the blow. But we now know, especially since the Bikini test, that nuclear bombs can gradually spread destruction over a very much wider area than had been supposed.
 It is stated on very good authority that a bomb can now be manufactured which will be 2,500 times as powerful as that which destroyed Hiroshima. Such a bomb, if exploded near the ground or under water, sends radio-active particles into the upper air. They sink gradually and reach the surface of the earth in the form of a deadly dust or rain. It was this dust which infected the Japanese fishermen and their catch of fish.
 No one knows how widely such lethal radio-active particles might be diffused, but the best authorities are unanimous in saying that a war with H-bombs might possibly put an end to the human race. It is feared that if many H-bombs are used there will be universal death, sudden only for a minority, but for the majority a slow torture of disease and disintegration.
 Many warnings have been uttered by eminent men of science and by authorities in military strategy. None of them will say that the worst results are certain. What they do say is that these results are possible, and no one can be sure that they will not be realized. We have not yet found that the views of experts on this question depend in any degree upon their politics or prejudices. They depend only, so far as our researches have revealed, upon the extent of the particular expert's knowledge. We have found that the men who know most are the most gloomy.
 Here, then, is the problem which we present to you, stark and dreadful and inescapable: Shall we put an end to the human race; or shall mankind renounce war? People will not face this alternative because it is so difficult to abolish war.
 The abolition of war will demand distasteful limitations of national sovereignty. But what perhaps impedes understanding of the situation more than anything else is that the term "mankind" feels vague and abstract. People scarcely realize in imagination that the danger is to themselves and their children and their grandchildren, and not only to a dimly apprehended humanity. They can scarcely bring themselves to grasp that they, individually, and those whom they love are in imminent danger of perishing agonizingly. And so they hope that perhaps war may be allowed to continue provided modern weapons are prohibited.
 This hope is illusory. Whatever agreements not to use H-bombs had been reached in time of peace, they would no longer be considered binding in time of war, and both sides would set to work to manufacture H-bombs as soon as war broke out, for, if one side manufactured the bombs and the other did not, the side that manufactured them would inevitably be victorious.
 Although an agreement to renounce nuclear weapons as part of a general reduction of armaments would not afford an ultimate solution, it would serve certain important purposes. First: any agreement between East and West is to the good in so far as it tends to diminish tension. Second: the abolition of thermo-nuclear weapons, if each side believed that the other had carried it out sincerely, would lessen the fear of a sudden attack in the style of Pearl Harbour, which at present keeps both sides in a state of nervous apprehension. We should, therefore, welcome such an agreement though only as a first step.
 Most of us are not neutral in feeling, but, as human beings, we have to remember that, if the issues between East and West are to be decided in any manner that can give any possible satisfaction to anybody, whether Communist or anti-Communist, whether Asian or European or American, whether White or Black, then these issues must not be decided by war. We should wish this to be understood, both in the East and in the West.
 There lies before us, if we choose, continual progress in happiness, knowledge, and wisdom. Shall we, instead, choose death, because we cannot forget our quarrels? We appeal, as human beings, to human beings: Remember your humanity, and forget the rest. If you can do so, the way lies open to a new Paradise; if you cannot, there lies before you the risk of universal death.
Resolution
 We invite this Congress, and through it the scientists of the world and the general public, to subscribe to the following resolution:
 "In view of the fact that in any future world war nuclear weapons will certainly be employed, and that such weapons threaten the continued existence of mankind, we urge the Governments of the world to realize, and to acknowledge publicly, that their purpose cannot be furthered by a world war, and we urge them, consequently, to find peaceful means for the settlement of all matters of dispute between them."
Max Born, Perry W. Bridgman, Albert Einstein, Leopold Infeld, Frederic Joliot-Curie, Herman J. Muller, Linus Pauling, Cecil F. Powell, Joseph Rotblat, Bertrand Russell, Hideki Yukawa



この人間として目覚めた科学者、哲学者たちの宣言は今でも生きています。こんなものが必要でなくなる日が来ることを願って。

母べえは、選ばれなかった

 ベルリン国際映画祭で、日本の山田洋次監督、女優吉永小百合さんがタッグを組んだ「母べえ」、残念ながら、受賞ならず。
 まあ人気はあって、上映のオファーがたくさん来たというからよかったかな。
 それにしても山田監督残念でした。吉永小百合さん、次の映画も期待しています。

2008年2月18日月曜日

吉永小百合

 なぜ母親になることを選ばなかったのだろうか。それがすごくさびしい。彼女の美しさを継ぐ者がいないのだ。
 映画「かあべえ」は絶賛上映中。ベルリン国際映画祭にも出品され、絶賛を博しているという。

2008年2月16日土曜日

沖縄の声にこたえるためにも

日米安保破棄!

米軍基地の完全撤去!

日本国中の米軍基地、施設の完全撤去!

2008年2月15日金曜日

日本国憲法第9条を世界の憲法に!

地球人同士の殺し合いをなくすために、核兵器、通常兵器すべての生産、輸出入の禁止を呼びかけます。
スーダン、イラクをはじめとする紛争地域での戦闘の中止を呼びかけます。

地球人をこれ以上殺すな!命を殺すな!ユダヤ人を名乗るイスラエルの蛮行をやめさせよう!

地球の破壊をこれ以上させない取り組みを呼びかけます。

地球環境、人類の平和を達成するために日本国憲法第9条を世界の憲法に!

2008年2月14日木曜日

日米安保破棄

 思いやり予算の廃止、日米安保破棄、米軍基地撤去!

 
日米安保破棄!米軍基地撤去!米軍は日本から出て行け!

2008年2月13日水曜日

日米安保破棄!

もう四の五の言っているときじゃない。

安保破棄!

日米安保破棄!

自衛隊の武装解除!

これしか市民の安全は守れない。

軍隊は日本にいらない、地球にもいらない、

地球人同士の殺し合いをやめよう!

2008年2月12日火曜日

沖縄の怒りを軽く見る日米首脳たちに、日米安保破棄!をぶつけろ

 再び婦女子暴行が沖縄で起きた。沖縄の怒りが爆発した、1995年沖縄県民集会から、13年経とうとしているのに、いまだに米軍海兵隊員による暴行事件が、なくならない。

 いつまで大変遺憾な出来事だと日本政府は言っているのか。

 沖縄の完全返還を。基地のない沖縄、日本の実現をめざせ!

 日米安保破棄!

2008年2月10日日曜日

プリンスホテルを許すな!

 起きてもいない右翼の妨害を口実に、日教組の教研集会を拒んだグランドプリンスホテル新高輪の暴挙を許すな!
 プリンスホテルは、裁判所の決定にも従わなかった。
 

2008年2月8日金曜日

教員再雇用拒否は違法

  東京地裁で教員再雇用不採用になった元教員が東京都を訴えていた裁判で、東京地裁は、君が代斉唱の職務命令に関しては違憲ではないとしたが、採用検討段階において不採用になった理由は、国歌を歌わなかったことが認められ、これは裁量権の逸脱だとして元教員に採用されたとしたら得たであろう1年分の給与相当額の慰謝料を払うように東京都に命じた。
 違憲性を争っていたのは、職務命令に対してではなく、その強制性にあったのだから一部勝訴の判決だと思う。
 東京都は言い分を認められなくて遺憾だとし、判決内容を検討し控訴するか決めるそうだ。

 国歌君が代斉唱の職務命令は、ピアノ裁判の最高裁判決で違憲ではないという判決が出されているので、それに従ったものだといえる。 強制性に踏み込めば違憲だという結論が出たはずだ。

 石原都政下における教育委員会の暴走もこれでブレーキがかかるかというと日の君裁判のほとんどを東京高裁では、控訴棄却されているので心もとないが、まずは一歩また勝利に近づいた。

2008年2月7日木曜日

映画「南京の真実」はお粗末過ぎる

 南京の真実という映画の監督というか、カメラワークがへたくそだし、出た役者たちも学芸会じゃないんだから、文章の棒読みって言うか、脚本家が悪いのか。まったくナンセンスなつくりになっていて、映画としても、価値がない。
 まったく金の無駄遣いである。役者さんたちも可哀そうだ。
 南京大虐殺は、日中戦争の上海上陸戦から独断で内陸に攻めていった部隊が起こした事件だ。実行部隊の証言もたくさんある。東中野という奴は人の論文のつまみ食いで、研究者とはいえない奴だ。
こんな奴を教授だとしている大学の品位が落ちる。まったくくだらない奴等を教授にしているものだ。

2008年2月6日水曜日

山谷首相補佐官は辞めろ!

南京の真実という映画の舞台挨拶に立った山谷えり子首相補佐官に辞任を求める!
南京事件、大虐殺は歴史的事実だ!

2008年2月5日火曜日

F15戦闘機 戦闘訓練止めろ!

F15戦闘機は直ちに戦闘訓練を止めろ!